高松地方裁判所 昭和63年(ワ)196号 判決 1993年12月14日
原告
矢野伊佐子
右訴訟代理人弁護士
宮崎浩二
同
中村史人
同
木田一彦
被告
香川県
右代表者知事
平井城一
右訴訟代理人弁護士
田代健
右指定代理人
嶋田邦弘
外四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金四六一六万〇五八〇円及びこれに対する昭和六二年一一月一日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同じ。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1(当事者)
(一) 原告は、矢野晋嗣(昭和四五年九月一五日生、以下「晋嗣」という)の実母である。
(二) 被告は、高松市番町<番地略>において、香川県立中央病院(以下「被告病院」という)を経営管理している地方自治体であり、昭和六二年一〇月当時、同病院で医療行為に従事していた辻和宏(以下「辻」という。)医師、柏尚裕(以下「柏」という。)医師らほか晋嗣の診断治療に当たった医師の使用者である。
2(医療契約の成立)
晋嗣は、昭和六二年一〇月一〇日午後七時半ころ、熱傷を負ってただちに救急車で被告病院に搬入され、以後被告病院が晋嗣の熱傷の診断及び治療にあたる旨の準委任契約が晋嗣と被告との間に成立した。
3(晋嗣の死亡までの症状経過)
晋嗣が受傷して被告病院に入院し、そこで治療を受けた経過は次のとおりである(以下、日付のみで表示するものは、いずれも昭和六二年一〇月である。)。
(一) 晋嗣は、当時、香川県立高松西高等学校二年に在学中であったが、一〇日午後七時半ころ、自宅近くの空地で、友人から指示されてマッチを点火したところ、シンナー入りの罐から急激に火焔が出て、顔面、右腕全体、左腕の肘から先、右下腿膝下一〇センチメートル以下の前面部分に熱傷を負い、前記のとおり被告病院に搬入された。
(二) 初診時、被告病院の辻医師の手当を受け、晋嗣の熱傷は体表面積の三〇パーセント(ただし後記のように正確な測定ではない)で、第二度熱傷であり、特に右上腕部は第二度のうちでも程度の高い深達性部分熱傷であると診断された。
(三) 晋嗣は、一二日には、原告との面会で会話ができるようになり、一三日の昼ころには、しっかりした調子で会話ができるようになった。
また、晋嗣は、一四日からは経口摂取で流動食も取れるようになり、一六日には、おじや、おかゆ等も食べられるようになるとともに、マンガ本なども読むようになった。
一七日には、被告病院は、それまで病院で待機していた原告や家族に対して、その必要なしとし、以後、原告は自宅で待機するようになった。
医師は、一八日に晋嗣の全身状態はよいものと診断し、同日及び一九日には晋嗣も病院食の八ないし一〇割を摂取した。
(四) しかし、晋嗣は一三日ころから間歇的に三八度を超える発熱があり、一八日には40.3度、一九日に39.5度、二〇日に39.4度、二二日には40.0度を記録し、二八日以降はしばしば四〇度を超えていた。また、白血球数も正常値に比べ相当高い値を示していた。
さらに、晋嗣には、二二日ころからは、咳、喀痰があり、以後二九日まで感冒様症状を呈しており、かつ二六日ころからは左頚部のリンパ線が腫れていた。
(五) 被告病院の医師らはこのような発熱の原因を特定しかねていたが、二八日まで敗血症の対策はとられなかった。
(六) 晋嗣は、同年一一月一日、被告病院において、敗血症によって死亡した。
4(被告の責任)
右の晋嗣の死亡は、次のとおり、被告病院の医療行為の過誤に基づくものであり、被告は、前記準委任契約上の義務を尽くさなかった債務不履行責任又は使用する医師が十分な注意義務を尽くさなかったことにより民法七〇九条、七一五条による不法行為責任を負う。
(一) 熱傷の治療に当たる医師の準委任契約上の債務又は注意義務の主たる内容は、①熱傷ショック対策と②感染による敗血症の予防と治療であるが、本件では、晋嗣が敗血症によって死亡したものであるから、被告病院の感染防止対策及び敗血症対策の適否が問題となる。
(1) 感染の防止について、一般的に、患者自身を清潔な状態に置かなければならないのはいうまでもなく、ガーゼ、シーツ等の各種用具は無菌操作がされなければならないし、病院内の医療スタッフ、他の患者からの感染にも十分注意が払われなければならない。
(2) また、治療にカテーテルを使用する場合に、その当否の検討及び留置期間も長期にならないように配慮して交換するなどカテーテルからの感染の防止に注意しなければならない。
さらに、熱傷創からの感染防止のために、早期の植皮も行なわれるべきである。
(3) そして、敗血症に対処するため、医師は患者の状態を常に観察し、悪寒、戦慄に引き続いて高熱を発し、発汗するような場合には、まず全身感染症を疑い、特に不規則な間隔をおいて発熱発作を繰り返す間歇熱が認められる場合は、化膿性転移形成性全身感染症を疑い、これに対処しなければならない。
(4) 具体的には、頻回の血液(動静脈血)培養を行なって、原因菌を特定し、その菌の抗生物質感受性を測定し、感受性のある抗生物質を投与すべきである。
(二) 晋嗣の敗血症の感染経路について
(1) 前記のとおり、晋嗣は治療期間中に敗血症によって死亡した。
熱傷患者が敗血症に至る場合の感染経路としては、①熱傷創からの感染、②呼吸器系からの感染、③尿路からの感染、④カテーテル等による血管からの感染などが考えられる。
(2) ところで、晋嗣の熱傷は、被告病院の診断ほど広範囲のものではなく、全身の二〇パーセント以下で、深度はほとんどが第二度の浅層熱傷であり、それより深いと思われる右上肢の一部(肘付近)についても限局性のものであった。右の熱傷の状況は、ただちに死の転帰をとるような重症熱傷ではなく、①の熱傷創を門戸とする敗血症は考えられない。
(3) また、晋嗣には問題となるような気道熱傷もなかったから、②の呼吸器系からの感染も考えにくく、③の尿路からの感染を疑わせる所見もない。そうすると、本件で晋嗣の敗血症の原因として考えられるものは、晋嗣の鼠径部に入院当初から刺入使用されたIVH(経中心静脈高カロリー輸液)カテーテルからの感染である。
5(IVHカテーテルの使用について)
(一) IVHカテーテルの使用判断の誤り
(1) IVHカテーテルの使用は、体内に異物を挿入するものであり、その存在自体が新たな感染経路を生むことになり、合併症等の危険性が大きく、適応症例以外への安易な使用は避けるべきである。
とりわけ、熱傷の場合には、症状それ自体の性質から患者の全身が不潔になっている場合が多いので、一般の外科手術、胃腸手術に比して感染率が高くなるから、一層慎重に適応症例の選択がなされるべきであって、気道熱傷や顔面熱傷あるいは重症熱傷の患者で経口及び経腸栄養の補給ができない場合等にのみ、使用されるべきものである。
(2) 被告病院は、晋嗣に対して当初からIVHカテーテルを使用し、これを利用して中心静脈圧の測定、昇圧剤等の薬剤投与を行なった。
しかし、晋嗣の熱傷の程度は、前記のとおり、このような処置を必要とするほど重症ではなかったし、他にIVHカテーテルを用いなければならない特別な事情もなかった。
とりわけ栄養補給に関しては、一二日には牛乳を、一三日には重湯、スープ、ジュース等の流動食を経口で摂取し始めることができ、順次回復して二一日には原告の差し入れたハンバーガー等も経口摂取できたのであるから、被告病院が晋嗣にIVHカテーテルを使用したのは必要性の判断を誤った安易な選択であった。
(二) カテーテル使用に伴う処置の不適(高度の清潔保持義務とその違反)
(1) カテーテルを使用する以上、感染の危険を防止すべき注意を払うのは当然であり、器具並びに操作の際の厳重な無菌管理はもとより、患者自身の全身の清潔保持、とりわけカテーテル刺入部付近の清潔保持には万全かつ細心の注意が要求される。
とくに、本件においては、カテーテルが他の場所に比べて最も感染の危険が大きい鼠径部に刺入・留置されていたものであって、この点からもカテーテルによる敗血症に対して十分な注意を払うべきであって、三ないし四日に一回を目安にラインを交換したり、三日毎にカテーテル刺入部位を変更すべきである。
(2) しかるに、被告病院では、長期間にわたってカテーテルを留置し、また身辺の清潔保持に関しても、当初から毛布類が次々と使用され、シーツ類は不潔でもOKとされ、一九日には電気毛布が使用され、包帯類についても原告が洗濯してきたものが使われて清潔保持に欠けていた。
(3) そして、二〇日にはカテーテル刺入部である両鼠径部が白っぽくなっており、汚染ないし不潔な状態にあったし、二六日には鼠径部のガーゼが汚れていた。
このように、清潔保持義務は尽くされていなかった。
(三) カテーテルの抜去義務違反
(1) カテーテルの使用によって、感染経路が増加するのであるから、その必要がなくなった場合や敗血症を疑うべき臨床所見が表われた場合には、直ちにこれを抜去して感染源を遮断する必要がある。
(2) ところで、晋嗣は一三日から三八度を超える発熱があり、一四日には悪寒を伴い、ほぼ間断なく三八度を超え、一六日には、右発熱に悪寒、頭痛、咽頭痛が伴ない、一七日には悪寒、戦慄に加え、発熱も39.2度まで上昇し、同日のうちに36.8度まで急降下している。
右のような悪寒、戦慄を伴った発熱の継続、また右発熱が急降下したのは、敗血症に特有の熱型や徴候が表われているものというべきであり、敗血症を疑うのが臨床医学の常識というべきである。
(3) 右発熱に加え、晋嗣の白血球の数値は、入院当初は九七〇〇の平常値を示していたものの、右発熱がみられる一六日ころからは、すべて一万をこえ、右の熱と一体的に上昇しているのであるから、おそくとも一七日には敗血症を疑うべきであり、カテーテルを抜去して適切な処置をとるべきであった。
(4) なお、晋嗣は、その後も二〇日まで熱の上下の差が激しい状態が継続し(一八日には最高体温40.3度、最低体温36.5度、白血球数値一万四四〇〇、一九日には最高体温39.4度、最低体温36.2度、白血球数値一万九四〇〇、二〇日には最高体温39.4度、最低体温36.2度、白血球数値一万五二〇〇)、敗血症の疑いがより一層鮮明に表われていたのであるから、おそくともこの時期にはカテーテルを抜去すべきであった。
それにもかかわらず、被告病院は、カテーテル抜去を怠ったため、感染経路を断つことができなかった。
6(敗血症診断の誤り)
(動・静脈血培養検査義務、抗生剤使用義務違反)
(一) 敗血症に対する措置としては、動・静脈血培養により、早期に原因菌を発見特定し、これに対する有効な抗生剤を投与することが必要である。
培養検査は、右原因菌の発見特定のために必要不可欠な検査なのであるから、敗血症を疑わせる臨床所見が発生した場合には、治療に万全を期すために、直ちに血液培養検査を行なうべきである。
また、培養検査では菌があっても必ずプラスの結果が出るとは限らず、したがって一回の培養検査でマイナス反応が出た場合でも、ただちに菌がないことにはならず、頻回の検査を行なうことによってはじめて菌の発見とこれに対する適切な抗生剤を特定できるのである。
(二) そして、晋嗣の症状からすると、一六日には血液培養検査を行うべきであり、以後二四ないし四八時間内に二、三回の検査を実施すべきであった。
しかるに、被告病院では、一六日には敗血症に思い至らず、その後も晋嗣には継続的に敗血症の疑いが一層具体的、明確に示されていたのに、被告病院は、二〇日に不十分なカテ先培養を行なったのみで、二八日に再度のカテ先培養をし、二九日に初めての血液培養検査をするまで何らの培養検査を行なわなかった。このため黄色ブドウ球菌が確認されたのが三〇日となって、その発見が遅きに失した。
7(過誤と死亡の因果関係)
(一) 以上の被告病院の処置等からすれば、二〇日のカテ先培養によって菌が発見されなかったとしても、むしろ原因菌が出ないほうが不審との考えに立って血液培養を行なうのが臨床医学の常識というべきである。
そして、二〇日ころにカテーテルを抜去し、血液培養検査を頻回に行なっていたなら、この前後の時点で原因菌を確認できた可能性が極めて高く、これによって適切な抗生剤の投与が行なえたはずである。
(二) 晋嗣は受傷当時一七才の若者で、身長一七八センチメートル、体重70.8キログラムで既往症はなく、極めて健康体であったから、右の措置がとられていれば、晋嗣は一〇〇パーセント救命されていたはずであり、被告病院がこれを怠ったことにより、敗血症に対する処置が遅れ、晋嗣は死亡するに至ったものである。
8(損害)
(一) 右の過誤により、晋嗣に次の損害が生じた。
(1) 逸失利益 二五一六万〇五八〇円
晋嗣は、死亡当時、高校二年生(一七歳)であったが、大学卒業の二二歳から六七歳に至るまで就労し利益を得ることが可能であった。六七歳までのホフマン係数(24.702)から二二歳までの同係数(4.364)を引くと本件のホフマン係数は、20.34となる。
昭和六一年度の賃金センサス産業計企業規模計男子労働者の新大卒平均賃金は、年二四七万四〇〇〇円である。
生活費は五〇パーセントを控除するのが相当である。
これらによって、晋嗣の逸失利益を計算すると、前記金額になる。
2,474,000×20.34×0.5
=25,160,580
(2) 慰謝料 一五〇〇万円
適切な治療を受けられずに死亡した晋嗣の慰謝料としては、右金額をもって相当とする。
(二) 相続
原告は、晋嗣の唯一の相続人であり、右(1)(2)の損害賠償請求権を相続により取得した。
(三) 原告は、晋嗣の死亡により次の損害を被った。
(1) 葬儀費用 一〇〇万円
原告は、晋嗣の葬儀費用として、一〇〇万円をこえる費用を支出した。
(2) 弁護士費用 五〇〇万円
原告は、本件訴訟を提起するについて、これを原告訴訟代理人らに依頼し、報酬として認容額の約一二パーセントにあたる右金額を支払う旨約した。
(四) 右(一)(三)を合計すると、四六一六万〇五八〇円となる。
9 よって、原告は、被告に対し、準委任契約の不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、右合計四六一六万〇五八〇円及びこれに対する晋嗣の死亡した日である昭和六二年一一月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の各事実は認める。
2(一) 同3の事実中、(一)の事実は不知。
(二) 同3(二)の事実は認める。
晋嗣は、一〇日午後八時ころ、被告病院に搬入され、地階受付において辻医師から創部消毒等の応急処置を受けた後、午後八時三五分ころ、集中治療室(ICU)に搬入され、全身管理の治療を受けることになった。
なお、晋嗣の治療は、被告病院の外科、麻酔科、形成外科の医師が共同で当たったものである。
(三) 同3(三)の事実は認める。
(四) 同3(四)の事実はおおむね認める。
(五) 同3(五)の事実は否認する。
被告病院の医師団において、右発熱は熱傷に伴なう発熱と判断していたものであり、被告病院が判断しかねていたことはない。
また、二八日まで敗血症について注意をしなかったことはない。二〇日にはカテ先や膿の培養検査も行ない、感染の場合の抗生剤の検討もしていた。
(六) 同5(六)の事実は認める。
3 同4の被告病院の医療行為に過誤があるとの主張は争う。
(一) 同4(一)の原告主張の治療等は一般論としては認められるが、本件につき被告病院の施した処置には、契約上又は不法行為上の注意義務に反する点はない。なお、植皮について、形成外科の柏医師は一〇日の入院当初の段階をはじめ、一九日にも晋嗣を診察しており、患部の切除と植皮の必要性は右上肢を中心に極く僅かであり、それも急を要しないとの判断をしていたものである。
(二) 晋嗣の熱傷は三〇パーセント、大部分は二度であるが右上肢は三度またはこれに近い程度で、重症熱傷に属するものであった。
したがって、原告主張のように熱傷創からの感染を否定することはできない。また、急性期を過ぎても右上腕の熱傷創面を中心として感染創からの敗血症発生の危険は常に存在していたものであり、カテーテルを感染源と決めつけるのは根拠がない。
4 同5の主張はすべて争う。
(一) 前記のとおり、晋嗣の熱傷は重症熱傷に属するものであった。
したがって、全身管理、特に急性期の輸液管理のため中心静脈路の確保が不可欠である。なお、被告病院は、晋嗣がICU入室直後からの九時間半の間に七七六七ミリリットルの輸液が投与されたことからして、バクスター法で右輸液量を逆算しても熱傷面積が三〇パーセントを下回らなかったことを示している。
(二) 被告病院は、晋嗣の身体の清潔保持について、必要な措置を怠ったことはない。
カテーテルは所定の方法により無菌操作を行なっているし、留置期間の誤りもない。また、晋嗣は集中治療室(ICU)で菌感染に対する管理がなされていた。身体の清拭は連日行なっており、シーツ、ガーゼ等の交換も可能な限り頻繁に行なった。
なお、カテーテルの交換を三日程度で行なうという原告の考えは、現実的でなく、被告病院では、全身状態の安定を見ている場合には、おおむね二週間に一度の割合で交換を行っている。
(三) 前記のとおり、二〇日前後の発熱は熱傷に伴なう通常の発熱であって、晋嗣の全身状態は良好であり、敗血症を疑うべき症状ではなかった。したがって、カテーテルを抜去すべき前提もない。
もっとも、原告主張のようにカテーテルを不必要に留置する危険性はないとはいえない。本件の場合についても、事後的に検討すると、二〇日から六日間は、カテーテルがなくても対処できたともいえなくはない。しかしながら、当時の状況として留置の判断をしたことに落ち度があるとは言えない。
(四) 晋嗣に敗血症が発症したのは二八日ころと見るべきである。
(1) 原告は、被告病院が敗血症の熱型を見落とした旨主張するが、敗血症の熱型とされる弛張熱は、一日の動揺が一度以上の熱で、最低値が正常体温(平熱)よりも高いものをいうのである。晋嗣の発熱の状態は、間歇熱(一日のうち発熱が数時間続き、その他は平熱となるもの)であって、弛張熱とは区別されている。
(2) また、悪寒や戦慄は敗血症の場合にも見られるが、それ自体は体温の急激な上昇に伴なって生じるものであり、弛張熱と間歇熱の双方に共通して見られる現象で、弛張熱に特有のものではない。
重症熱傷の場合、熱傷自体による発熱が二、三週間続いたり、悪寒戦慄を伴なうことは珍しいことではないのである。
(3) 本件の熱型を見れば、晋嗣の発熱が弛張熱となったのは二六日以降であり、二八日にその典型が現れたといえる。したがって、敗血症の発症は二八日ころと考えるのが妥当である。
被告病院はこれに対応してカテ先培養、血液培養を行なって感染の確認をする一方、抗生剤を投与するなど、可能なかぎりの医療処置をした。
5 同6の主張はすべて争う。
(一) 敗血症診断の決め手は血液培養でその確認をすることであるが、単に可能性があるからといって血液採取のために頻繁に患者の身体に針を刺すことは問題であって、血液培養検査は、原因不明の発熱、説明不能の低血圧、血液尿素窒素の鋭い上昇、意識レベルの変化、食欲の急激な低下等の臨床症状から見て敗血症の疑いが持たれた場合にのみ行なうべきものである。
(二) なお、抗生剤の早期全身投与についていえば、抗生剤の投与をあまりに早期に開始しすぎると、菌の耐性を生じさせることになって適当でない。
また、菌の確定に努めながら、行なうべきものであるから、菌が発見されない段階で行なうべきものでもない。抗生剤の副作用として腎臓、肝臓等の重要臓器機能障害といった致命的合併症を引き起こすことも多いので安易に使用することはできないものである。
そして、本件では、少なくとも二〇日のカテ先培養検査では、菌は発見されていない。被告病院は二七、二八日の晋嗣の症状に照らして二八、二九日に検査を行ない、また抗生剤を投与して、遅滞ない対応をした。
6 同7の主張も争う。
(一) ちなみに、被告病院のICUに最近五年間に受け入れた熱傷患者は、一五例に達する。
被告病院において、抗生剤の全身投与を行なったのは、明らかな気道熱傷、肺合併症、尿路感染症が植皮術前に認められた者だけであり、それ以外の症例は、すべて植皮の周術期に限って投与されている。また、臨床的に安定している場合には、発熱があるだけではカテーテルの交換はしていない。本件でもこれらと異なった取り扱いをしたものではない。
(二) なお、前記一五例のうち本件を含めて六例が死亡例である。本件を除く死亡例は、三例が受傷後一、二日のショック期死亡であり、他の二例は植皮術を行なったが、多臓器不全、敗血症で死亡したものである。
敗血症で死亡した症例では、受傷後五日目と一五日目の血液培養検査は、ともに陰性であり、特に一五日目の検査は敗血症が疑われていたにもかかわらず陰性であった。また死亡直前のカテーテル細菌検査でも陰性であった。
また、右症例では、受傷後八日目に植皮手術をしたので、その三日前から抗生剤の全身投与を始め死亡まで継続されたのであるが、結局敗血症の発症とこれによるショックは防げなかったもので、抗生剤を投与していれば敗血症が防止できるということではない。
(三) 治癒退院した例としては、三六パーセント、二〜三度熱傷の五八才男子の患者は連日の発熱とこれによる悪寒を訴えていたが治癒している。四五パーセント、二〜三度熱傷の四七才男子患者の例では、受傷後一か月以上にわたり三八度以上の発熱が見られ、受傷八日目には菌血症と診断されているが、むしろ発熱は右診断後のほうがおちついており、悪寒の訴えも診断前のほうが多かった例であり、発熱、悪寒と感染が必ずしも符合するものでないことを示している。
7 同8の損害に関する主張はすべて争う。
第三 証拠<省略>
理由
第一 請求原因1、2の事実は、当事者間に争いがない。
また、同3の事実中、(一)の事実は<書証番号略>及び原告本人尋問の結果により認められ、(二)ないし(四)、(六)の客観的な事実経過並びに晋嗣が敗血症により死亡した事実は当事者間に争いがない。
第二 原告は、請求原因4以下において、被告病院の医療行為に過誤があったと主張するので、以下、この点について判断する。
一 <書証番号略>によれば、以下の事実を認めることができる。
1 晋嗣は、一〇日午後七時半ころ、自宅近くの空地で友人と遊んでいるうち、右友人に指示されてマッチに点火したところ、シンナー入りの缶から急激に火炎が出て顔面等の身体前面等の部分に熱傷を負い、救急車で被告病院に搬入された。
被告病院では、当直の外科の辻医師(昭和六一年五月医師免許取得、同年九月被告病院嘱託・研修医)がこの対応に当たった。
晋嗣は、主として顔面、右上肢、左前腕、右下腿に熱傷を被り、右上肢以外の右腕全体にも熱傷を生じたほか、前胸部、腹部にも発赤が認められた。辻医師は、創部の消毒等の応急処置を行ない、集中治療室(ICU)担当の麻酔科の当直医と協議し、午後八時三五分ころ、晋嗣を集中治療室(ICU)に搬入した。
2 被告病院形成外科医長の柏医師(昭和五三年医師免許取得、昭和六一年二月から被告病院勤務)は、病院からの電話連絡でまもなくICUにかけつけ、晋嗣の状態を診た。
ところで、熱傷の重症度の判定については、受傷面積と深度によって決定され、この基準は、受傷直後の患者に対して、生死の確率、全身管理の必要性、適切な医療機関を選択するなどのための指標としての意義があるとされている。
熱傷深度は、皮膚表層の一度、より深く真皮層に達したがまだその層の一部が健存する二度、皮膚全層に達した三度に分類され、さらに二度は、真皮層の上層にとどまる浅在性と深在性とに分けられる。
そして、一般に成人で体表面の二〇ないし三〇パーセント以上で二度以上の熱傷は、熱傷ショックや、重篤な合併症である敗血症の危険がある重症熱傷として、以後の治療に全身管理をする必要が説かれている。もっとも、二度熱傷でも浅いものと深いものとでは臨床的に大きな差があるとされ、敗血症は深い二度以上の熱傷で起こるとされるほか、他に年令、受傷部位、患者の健康状態、既往疾患、合併損傷の有無など予後を左右する重要な要因があり、臨床においてはこれらを加味して判断する必要があるとされる。(<書証番号略>)
晋嗣の熱傷は、三度の部分は認められず、右上肢の一部で鶏卵大の範囲に深在性の二度熱傷が認められるほかは多くが浅在性の二度熱傷で、一度の部分も多かったので、柏医師は、一般に敗血症が心配されるような重症熱傷とは考えなかったし、早期の植皮の必要も認めなかった。柏医師自身は、この程度の熱傷は一人で診た経験もありICUも数日で足り一般病棟での治療でも支障はないと考えたが他言しなかった。そして、辻医師に、顔は軟膏療法で開放治療にしたらどうか、その他の部分はゲーベンクリームを使ったらどうかと助言した。
3 辻医師は、柏医師及び麻酔科医師二人と協議し、晋嗣の受傷面積を体表面積の約三〇パーセント、熱傷深度を二度と診断した。なお、その三〇パーセントのうちには右のとおり一度の部分も相当範囲認められ、二度部分も深いのは右上肢の部分だけであった。
なお、辻医師は、カルテの人体図(ただし前面図だけである。)に二度部分のみを斜線で記入したが、右図で斜線が記入されている部分は二〇パーセント程度である。
もっとも、晋嗣は、鼻毛が焼け、口唇にも浮腫が認められたことから、気道熱傷も心配されたので、辻医師は、以後、ICUで全身管理のうえ、経過観察することとした。晋嗣の体温は、36.4度、白血球数は九七〇〇であった。
そして、創部の保護とともに晋嗣の左右鼠径部から静脈にカテーテルを刺入して輸液路を確保した。なお、被告病院ではICUの患者についてはほぼ全例にIVHカテーテルを使用して全身管理を行なっていた。
4 辻医師は、柏医師の助言にしたがって、待機していた晋嗣の母である原告及び晋嗣の弟に対し、晋嗣の受傷面積は体表面積の約三〇パーセントで、熱傷深度は二度であること、重度の熱傷の場合には、腎不全、肺合併症による呼吸不全等によって生命の危険があること、気道熱傷の可能性があること、細菌感染に伴なう菌血症、敗血症のために死亡に至る危険性があること、今後、集中管理室で全身管理をし、植皮等の方法も考えることなどを説明した。
5 被告病院の外科部長の中川準平(以下「中川」という。)医師(昭和三六年八月医師免許取得、昭和四三年六月から被告病院に勤務)は、指導医として辻医師の指導に当たっていた。辻医師自身は単独で熱傷治療の経験はなかったが、被告病院のICUに搬入された熱傷患者の治療を分担したことはあった。
中川医師は、一一日の朝、晋嗣を診察し、治療の上で問題となるような気道熱傷はないと判断した。また、創面自体はガーゼで覆われていたが、体表面積の三〇パーセントの二度熱傷であるとの辻医師の診断を相当と判断した。
晋嗣は、右のような経緯で、三〇パーセント二度熱傷の重症熱傷患者として被告病院の治療を受けることとなった。
6 被告病院では、本件まで四、五年の間に一四、五例の熱傷治療に当たっていたが、特定の科において治療を行なうのではなく、手術が必要な部分は外科、全身管理については麻酔科、植皮等を要する場合は形成外科といったように、各科の医師が必要に応じ関与して治療に当たっていた。
晋嗣の治療については、前記のようにICUに入ったため、全身管理については麻酔科が担当することになったが、中川医師の指示で、辻医師が主治医となって晋嗣を直接診察し、その時々の状態の報告及びそれに基づく治療方針について各科の医師との協議に参加し、また、患者や家族とのコミュニケーションを図る業務を受持ち、中川医師がこれを指導監督していくこととなった。辻医師は、それまで被告病院で五例ほどの熱傷治療を見学したことがあったが、主治医となって熱傷治療に当たるのは初めてであった。
7 ところで、重症熱傷の治療において注意すべきものとして、初期の循環障害によるショックとその後の感染による敗血症とがあげられている。
(一)(1) 初期の熱傷ショックは、体表の広範囲に熱作用が加わった場合、全身の血管壁の透過性の亢進が起こり、機能的細胞外液量の減少に創面からの蛋白質の喪失が加わり、循環血液量の減少が引き起こされることによって生じるもので、ショック期は通常四八時間継続するとされ、その後は、非機能的細胞外液量は徐々に循環系に再吸収され循環血液量は急激に増加するものとされている。(<書証番号略>)
(2) ショックによる死亡は、輸液技術の普及により減少し、むしろ、事後の感染による敗血症による死亡例が最も多くなっており、感染対策が最近の重症熱傷治療の中心となっている。
(二)(1) 敗血症は、身体の組織あるいは臓器のどこかに細菌感染巣(敗血巣)があり、その病巣からたえずあるいは断続的に細菌が流血中に侵入し、菌血症を起こす重症全身性感染症であり、宿主生体の防御力が低下しているか、侵入細菌の菌力が特に強いか、あるいはそれが併存する場合には、他の組織又は臓器に新しい転移巣をつくり、そこも新たな敗血巣へと進展し、全身的に多彩かつ重篤な症状を呈し生命にかかわる場合もあるものとされている(<書証番号略>)。
重症熱傷患者は、一般的には、壊死組織を伴なった開放創を有し、同時に宿主防御機能が低下しているため、細菌感染の可能性が高く、初期のショック期を過ぎた後は、感染防止対策が治療の中心となる(<書証番号略>)。
(2) 感染の門戸としては、①熱傷創からの感染、②呼吸器系からの感染(気道熱傷の場合など)、③尿路からの感染(膀胱留置カテーテル)、④血管からの感染(輸液のためのカテーテル、IVHカテーテル)などが考えられている。
(3) 敗血症の徴候としては、臨床的には悪寒戦慄、弛張高熱、頻脈、重病感等であるが、通常は基礎疾患の症状が重複するため、発熱の類型を含めて明確さを欠く場合が多いので、基礎疾患の経過が良好であるのに発熱したり、食思不振、全身状態の悪化などを来したら、基礎疾患の増悪を念頭に入れながら、ただちに敗血症の併発を疑うべきものと成書に明記されている(<書証番号略>)。
(4) 敗血症診断の決め手は、菌血症の存在の確認にあるため、敗血症の疑いがある際には、ただちに血液培養検査を行なう必要があるとされている(<書証番号略>)。
そして、原因菌を確認し、これに適応する抗生剤を投与するのが最も確実な手段である。もっとも、菌の確認は培養という手段を用いて間接的に行なわれるものであるから、菌があっても発見されない場合もしばしばある。
したがって、臨床所見があり敗血症の疑いがある以上、頻回に培養検査を行なうべきである。その頻度については、三日又は五日おき位とか、疑いがある場合には発熱の有無にこだわらず一日二回三日間行なうなど(<書証番号略>)、見解は一致していないが、患者の状態を見て医師が判断すべきである。
また、菌が発見されなくても、臨床所見から敗血症に対する措置を施す必要があるとされる。
8 晋嗣の入院後の経過の概要は次のとおりである。
一〇日 左右鼠径部カテーテル刺入、左足首カット・ダウン
被告医師団がカテーテルの刺入部位として左右の鼠径部を選んだのは、晋嗣の左右両腕に熱傷があって、腕のその余の部位には刺入できる適当なところがなかったためである。
経口食なし。最高体温三七度五分(二三時二〇分)
一一日 体温はおおむね36.7度で血圧も問題ない。
顔面及び耳全体に浮腫があり、暗黒灰色を呈していた。
被告病院麻酔科部長の瀬戸甲蔵医師(昭和五〇年六月医師免許取得、昭和五九年三月から被告病院勤務)が晋嗣を診察し、受傷範囲について、辻医師の判断を相当と認め、当初の治療方針として、輸液を中心としたショックの予防と気道熱傷を考慮した呼吸管理とに重点を置くこととした。
胸部レントゲンの結果、肺野問題なし。
経口食なし。体温―最高37.4度(一〇時及び一八時)、最低36.6度(六時及び二四時)
一二日 午前八時ころには会話ができるようになった。また、牛乳を経口摂取できるようになった。昼ころには、しっかりした調子で会話ができるようになった。呼吸は全体に弱い。
胸部レントゲン肺野きれい。
夕方から夜になって三八度の熱が見られるようになった。
白血球が一万四三〇〇、一万三三〇〇の値を示す。
(左足首カット・ダウン)経口食(経口で各牛乳一〇〇ccずつ二回)、体温―最高三八度(八時及び二二時)、最低36.2度(二時、四時、六時)
一三日 両上腕部に浸出液が少し見られたが創部はきれいであった。
三七度から三八度の熱が続き、一四時には38.7度に達したが、二二時には36.5度に下がった。
二〇時に高校の担任教師が面会。意識はしっかりしているが、発熱で玉のような汗を出して苦しそうだった。二四時ころも発汗が多かった。ベニロンが投与された。
経口流動食(牛乳、重湯、ジュース、スープ等)
一四日 顔面の浮腫は改善されてきた。
呼吸は弱く、一一時ころから二三時すぎまで三八度台の熱が続く。悪寒があった(一〇時ころ)。
一五時と二二時には38.8度を示した。
胸部レントゲン問題なし。
経口流動食(卵、みそ汁、牛乳、ジュース、白湯等)体温―最高38.8度(二二時)、最低36.9度(二時)
一五日 ジュースを経口摂取した際に喉の痛みを訴える。
体温は三六度台から三八度までを上下する。一二時ころ悪寒あり。一五時ころ発汗多量。
胸部レントゲン問題なし。
経口流動食(スキムミルク、牛乳、卵黄、ジュース等)体温―最高三八度(一二時一〇分ころ)、最低36.4度(四時及び六時)
一六日 ジュース、味噌汁のほか、夕食からおじや、かゆ等の食事が経口で取れるようになった。
体温は36.7度から38.7度の間を上下し、悪寒があり(一一時ころ)、食事の際に咽喉痛を訴える。
咽喉痛を訴える。
白血球は一万〇一〇〇。
経口食―朝昼夕の三回(昼、夕食は全量摂取)体温―最高38.7度(一四時)、最低36.7度(二時)
一七日 午前八時ころは元気で朝食も全部食べた。しかし、昼には食欲がなかった。
一四時ころ悪寒、戦慄を訴え、発汗が著明に認められた。
白血球は一万一四〇〇。
夕食は全部食べた。
この日まで家族が病院で待機していたが、以後、その必要なしとして被告病院から自宅待機を指示された。
経口食―朝昼の二回はほぼ全量、昼食は摂取なし。体温―最高39.2度(一八時二〇分ころ)、最低36.8度(二四時)
一八日 顔面は大分きれいになったが呼吸は全体に弱い。
よく話をする。機嫌も良い。
悪寒があり(一二時)、多量の発汗があった(一六時)。
夕方には全体の調子は良いと診断される。
経口食―朝昼夕三回ともほぼ全量摂取、体温―最高40.3度(一二時)、最低36.5度(二時)
一九日 悪寒、戦慄を訴え(一五時ころ)、そのころ電気毛布の使用を始めた。
白血球が一万九四〇〇。
柏医師が、晋嗣の右上肢は浮腫が強く、深達性部分熱傷で瘢痕状態を残さないためには将来的には植皮が必要であろうと診断した。
晋嗣は夜中に突然起きて訳のわからないことを言い、寝惚けてしまったと言って眠る。
経口食―朝昼夕三回とも全量摂取、体温―最高39.5度(一六時三〇分及び一七時)、最低36.2度(二時二〇分)
二〇日 食欲なく食事を残す。両鼠径部の一部が白っぽくなって、かゆみもあり。
悪寒あり(一一時すぎ)、多量の発汗があった。咳嗽が時々あった(四時すぎ)。
白血球は一万五二〇〇。
中川医師は晋嗣の発熱を熱傷に伴なう通常のものと判断していた。しかし、一九日に、白血球が一万九〇〇〇の値を示したので、細菌感染を考慮しなければならないと考え、左鼠径部のカテーテルは抜去し、右鼠径部のカテーテルは交換し、カテ先培養検査(<書証番号略>)、及び創部の膿の培養検査を(<書証番号略>)依頼した(<書証番号略>)。右カテーテルの抜去と交換の前後を通して、晋嗣の体温は39.4度と変化がなかったので、その経過から医師団は敗血症の発症が否定されたと診断したが、中川医師は辻医師へ敗血症の発症が疑われる事態となった場合に備えて、抗生剤の準備を指示した。
経口食(朝食約半分、昼食約三分の一、夕食全量各摂取)、体温―最高39.4度(一〇時、一二時、一四時)、最低36.2度(六時)
二一日 顔の黒い皮膚ははがれだした。ハンバーガーやフライドポテトをおいしそうに食べ、食欲はある。
熱は三七度近くから三八度台で推移した。白血球は九八〇〇。咳を時々する(四時すぎ)。悪寒があった(一八時すぎ)。
喀痰(<書証番号略>)の培養検査を行なった。
医師の中で抗生剤を考慮すべきことが指摘された(<書証番号略>)
経口食(朝昼夕三回とも全量摂取)、体温―最高38.9度(二一時)、最低36.9度(四時)
二二日 食欲はあるが粒のような汗をかく。
急に悪寒、戦慄があった(二〇時すぎ)。
白血球数一万二〇〇〇。時々咳をした(一六時ころ)。
言葉使い丁寧にはきはきと返事をし、一八時二〇分ころ、全体の調子は良いと診断される。
二〇日のカテ先培養の結果、菌は発見されなかったとの報告がされた。(<書証番号略>)
二二時ころ全身玉の汗。二三時の体温39.6度。
経口食(朝昼夕三回とも全量摂取)、体温―最高四〇度(四時)、最低36.2度(一六時)
二三日 体温が下がりおおむね三六度台で推移。
しかし白血球数は一万八四〇〇に上昇。
医師団は培養検査の結果で抗生剤を使用するかどうか決めるとの方針を立てる。
経口食(朝食なし、昼夕二食ともほぼ全量摂取)、体温―最高37.9度(六時)、最低36.2度(一一時)
二四日 熱はほぼ三七度台で推移。白血球数一万〇一〇〇。
辻医師が原告に対し、「熱が出ているが、その原因を調べている。植皮に関しては、形成外科の先生と相談し、来週中にもできるよう話しています。」と説明した。
二〇日に採取された晋嗣の膿から黄色ブドウ球菌が二四日検出され、その感受性テストもなされ、抗生物質も特定された。(<書証番号略>)
辻医師は柏医師に植皮について相談する。
経口食(朝夕二回全量、昼食八割摂取)、体温―最高38.2度(零時三〇分、二時)、最低36.8度(一二時)
二五日 熱は三七度から三八度で推移。白血球一万〇四〇〇。咳が時々あった(一〇時)。
経口食(朝昼夕三食とも全量摂取)、体温―最高38.3度(一六時)、最低三七度(一〇時)
二六日 顔がきれいになり本人喜ぶ。
咳あり(一〇時前、一四時すぎ、二二時前)。悪寒があった(二二時すぎ)。白血球一万二六〇〇。
左頚部に痛みと圧痛(<書証番号略>)があった。
辻医師は、リンパ節腫脹の可能性もあると考えた。しかし、辻医師はその後この点について経過を観察しなかった。中川医師はこの点については気づいていなかった。
鼠径部ガーゼが汚れており、包帯交換する。
経口食(朝昼夕三食とも全量摂取)、体温―最高39.2度(一六時)、最低三七度(二〇時)
二七日 多量の発汗があった。白血球一万三三〇〇。咳嗽が多い(五時すぎ)。
食欲が少し減退。
右上腕部について上皮化が十分でないため、辻医師は柏医師と相談し、柏医師が三〇日に植皮又はデブリドマンをすることを予定した。
医師団は、二四日から二七日位までは晋嗣の全身状態が良好と判断したこともあって、引き続きの諸検査や血液検査等を指示しなかった。
経口食(朝夕二回は各全量、昼はバナナ一本各摂取)、体温―最高38.9度(一六時)、最低37.1度(一二時)
二八日 三八度台後半から四〇度台の熱が続く。発汗多量数回。悪寒があった(一九時ころ)。
全身が衰弱し、食欲がさらに減退した。白血球一万七一〇〇。咳嗽があった(二四時)。
被告医師団は、敗血症の発症を疑い、直ちに各種抗生剤を使用開始し、グラム陰性菌によく効く薬剤とグラム陽性菌に効く薬剤とを組み合わせるなどして投与した。
右鼠径部のカテーテルを交換し、カテ先培養検査をした。
晋嗣は夜は「お母さん居って」と頼み、夜間、頭がフラフラすると訴えた。
経口食(朝食約七割、昼食全量各摂取、夕食摂取なし)、体温―最高40.2度(四時)、最低37.2度(一八時)
二九日 熱の状態は前日と変わらず高熱続く。白血球一万七六〇〇。
食欲が全くなくなった。全身が衰弱し、嘔吐が数回あり、咽喉痛が強い。
動脈血培養検査をした。
晋嗣は夜大声でわけのわからないことを言う。
中川医師は、血栓性静脈炎か敗血症発症の可能性を考えた上で、前日の食事摂取量からみてさほど重症ではないのではないか、カテーテルの刺入部位を鎖骨下に変え、足からの刺入をやめれば、二、三日で熱が治まるだろうと診断した。そして敗血症が発症している場合のために抗生剤の投与継続を指示した。
数日前から咳があり感冒様症を呈し、咽喉痛を訴えた。受傷時から気道熱傷はなかったが、一応耳鼻科医師にも診断を依頼することとする。悪寒(四時)及び咳があった(七時、一二時前)。
柏医師の午後の診察で、発熱のために、翌日の植皮の予定を延期し、洗浄だけすることになった。
原告が柏医師に耳のリンパ腺が腫れていることを訴えると、同医師は様子を見て下さいと述べた。(<書証番号略>)
経口食(朝昼夕とも摂取なし)、体温―最高40.3度(六時二〇分ころ)、最低36.9度(二四時)
三〇日 三九度から四〇度の熱が大半続いて、発熱、発汗も多量。悪寒があった(一六時一六分、二一時)。
白血球一万四五〇〇。
咽喉痛が強く左頚部のリンパが腫れている。
耳鼻科医師の診察では、口腔内、咽喉、食道入口部にわたって熱傷は認められず、粘膜はきれいで、炎症巣は認められなかった。
顔面、左上肢、右下腿部の傷はきれいになっている。右上腕部の患部だけがきたなく、緑っぽくなっている。この日に予定されていた植皮術の施行は中止された。
この日、ICUから救急センターの七人部屋に移される(一四時一〇分)。二八日のカテ先培養及び二九日の動脈血培養の結果、黄色ブドウ球菌が発見され、被告医師団は、二八日ころまでに敗血症が発症したと診断した。咳嗽が多く(二時)、嘔吐があった(四時すぎ)。
(右鼠径部カテーテル抜去一二時、右鎖骨下にIVHカテーテル刺入一九時二〇分)
原告が足の指に赤いぶつぶつを発見。
経口食(朝食、昼食、夕食とも摂取なし)、体温―最高40.9度(一二時)、最低37.4度(一九時)
三一日 熱は三七度台から四〇度台を上下。
悪寒があった(四時、五時、五時三〇分、一〇時、一一時)
辻医師が原告に対し、晋嗣が敗血症を起こしていると考えられ、抗生剤を投与していることを説明した。
経口食(前日と同じ)、体温―最高40.3度(六時)、最低37.1度(一八時)
一一月一日 午後〇時四〇分ころから血圧が低下し、昇圧剤等を使用して救命措置がされたが、ほとんど反応せず、午後二時三三分死亡した。
(痰の中に鮮血がみられ、午後一時チアノーゼ症状を呈し、午後一時五〇分ころ救命救急センターから集中治療室へ移された。)
経口食(前々日と同じ)、体温―最高38.2度(一二時四〇分)、最低37.1度(六時)
死因は敗血症によるショックと診断され、その原因菌について医師らの間で協議がされたが、黄色ブドウ球菌と緑膿菌の可能性が認められるものの、確定することはできなかった(晋嗣の死因が敗血症であることは当事者間に争いがない。)。
以上の事実が認められる。
二 熱傷患者の治療につき治療に当たる医師及び医療機関に敗血症に対して適切に対処すべき一般的な義務が存すること(請求原因4(一))については当事者間に争いがない。
三 敗血症とカテーテルの使用に関する問題点につき検討する。
1 原告は、まず、晋嗣の敗血症はIVHカテーテルからの感染であり(請求原因4(二))、晋嗣の熱傷はカテーテルを使用して輸液を必要とするような重症熱傷ではなかったから、カテーテルの使用自体が誤りであったと主張する(請求原因5(一))。
2 本件の感染経路を確定するのは困難であるが、前記認定の考えられる四つの経路について検討すると、難波鑑定により、①被告がその可能性を指摘する感染創からの感染は、本来は熱傷の際の敗血症の門戸として最も有力なものであるが、前記認定の晋嗣の創の状態及びその措置等に照らしてほとんど考えにくく、また②気道熱傷が認められない本件の処置に、呼吸器系からの感染の可能性も否定され、③尿路からの感染を疑わせる資料もなく、その他の有力な感染経路としては、結局、原告主張のように、④IVHカテーテルからの血管内感染の蓋然性が最も高いものと認められる。
3 ところで、カテーテルによる輸液は、重症熱傷の初期のショックを抑えるために行なわれるものであるから、晋嗣の熱傷がこれを必要とする程度のものであったか否かが問題となるが、受傷部(三〇パーセントの部分)がすべて二度熱傷の状態にあったのではなくて、二度部分はせいぜい二〇パーセント程度で、しかもその殆どが浅いものであって、深い部分は右上肢の患部の一部にすぎなかったこと及び下腿部、左上肢、顔面等の受傷部の回復が極めて順調であったことに照らすと、晋嗣の熱傷は、重症熱傷の範囲内に含まれるものの、そのうちでは軽い部類に属すると認められる。
4 そして、本件程度の熱傷の場合にIVHカテーテルを使用する治療を行なうかどうかの具体的な臨床判断に際しては、単に熱傷の深度と範囲の割合のみで決定されるものではなく、患者の状態に応じて医師が総合判断するものというべきであり、また医師の治療方針もあって、難波鑑定に照らしても、カテーテルを使用するかどうかは、医師の判断に委ねられるべき範囲に属するものと認められる。
したがって、被告病院の医師が本件の場合にカテーテルを使用したことが直ちに、誤りであるということはできない。
5 ところで、IVHカテーテルによる輸液に関して、証拠(<書証番号略>)によると、次のような点が指摘されていることが認められる。
(一) 経中心静脈高カロリー輸液(IVH)は、経口経腸栄養と比較して生体にとって生理的でなく、またカテーテルからの感染症が最も恐ろしい合併症である。高カロリー輸液施行中に高熱が出現し、二日以上にわたり続く場合に、他に明らかな発熱の原因が見出せない場合には、敗血症を疑い、対処すべきであるとされ(<書証番号略>)、したがって、経口及び経腸的に十分な栄養の投与が可能な場合には、カテーテルによる栄養給付方法は適応でないとされる(<書証番号略>)。
また、カテーテル留置に起因する菌血症・敗血症は通常その大半が、カテーテル抜去・交換とともに消退する性質を持っている。なお、これを致命的とする報告例も多いと記述する成書がある(<書証番号略>)が、そこには具体的な報告例の掲示はない。
そして、適応症例の選択に当たっては、創治癒が完成するまでとか経口摂取で十分なカロリーがまかなえるまでといった明らかな具体的な目的をもってされなければならず、ただ漫然と施行してはならないとされている(<書証番号略>)。
(二) 熱傷との関係では、カテーテルからの敗血症予防のためには、カテーテルは熱傷創から離れた部位で、また別の部位に刺入可能であれば、三〜四日ごとに穿刺してカテーテルを取り換えるのがよいが、最も大切なことは、経腸栄養を積極的に行なうとともに早期に焼痂の除去と植皮による熱傷創の被覆に努めることであるとされる(<書証番号略>)。
なお、カテーテルの留置経路のうち鼠径部静脈は不潔になりやすく感染が多いとされる(<書証番号略>)。
6 そうすると、前記のとおり本件においてカテーテルを使用するかどうかの選択は医師の判断に委ねられているとしても、カテーテルの使用は、それ自体敗血症の感染経路を増加させるもので、その対策自体が課題とされているところであり、使用自体に前記のような注意が促されていることを考えると、カテーテルの使用を選択する以上、敗血症に対する注意はより一層慎重に払われることが必要になるというべきである。
7 以上のとおり、晋嗣の敗血症はIVHカテーテルを門戸とする可能性が高いところ、本件程度の熱傷に対するカテーテルの使用が医師の裁量の範囲に属するものとすれば、治療に携わる医師は敗血症への対応について、特段の注意を払ってその徴候を把握し次第、すみやかにこれに対処しなければならないものというべきである。
四1 晋嗣に敗血症の発症を疑うべき徴候がどの時点で出現したかの争点について判断する。
2(一) 被告は、晋嗣の発熱の状態に関し、弛張熱(日差が一度以上変動するが、三七度以下には下がらない熱)と間歇熱(日差が一度以上変動し、一日のうちの最低が三七度以下になる熱)とが区別されるところ、敗血症の場合は弛張熱であって、晋嗣の場合は間歇熱であるから敗血症の徴候ではないように主張する。
(二) 証拠<書証番号略>によると、たしかに、弛張熱は、種々の可能性疾患や敗血症等の場合に見られるとされ、間歇熱はその典型がマラリア発作期に見られるとされているが(<書証番号略>)、晋嗣についてマラリアを疑うべき事情はないし、成書には間歇熱についてもマラリアのほかに弛張熱の場合と同じ疾患である場合も掲げられ(<書証番号略>)、また原因不明の発熱の場合に後日原因の判明したものの多くは感染症によるものであるとされている(<書証番号略>)ことからすると、右熱型によっては敗血症の可能性を否定する被告の主張は採用できない。
(三) なお、一般的に、全身感染症の最も著しい症状の一つは、悪寒又は悪寒戦慄に引き続いて高熱を発し多量の発汗をすること(<書証番号略>)であり、また血液感染症の熱型の典型では著名な弛張熱であり、朝は平温ないし微熱程度であり夕方になって発熱をくり返すとされる成書(<書証番号略>)があるほか、化膿性転移形成性全身感染症(細菌が血中に衝撃的にくり返し侵入して遠隔臓器に化膿性転移巣をつくるもの)に特有な熱型は間歇熱であるとする文献もあり(<書証番号略>)、このような熱型を取る原因が病原菌の血中に侵入した時期に相当し、この病原菌が臓器組織に着床すると体温がしばらく戻り(難波鑑定)、転移巣が形成されるに及んで体温が更に上昇するという過程を繰り返すために生じるとする成書(<書証番号略>)からすると、このような熱の変動自体が問題であって、敗血症発症の徴候識別につき、体温三七度を基準とすべき意味は乏しいというべきである。
(四) 証人中川準平(一、二回)、同辻和宏、同瀬戸甲蔵、同柏尚裕の各証言によると、晋嗣には一〇日から二六日までの間において、熱型としては弛張熱と看取されるものが、一七日、一八日、一九日、二〇日、二二日、二六日と断続的に現出したし、その際には悪寒や戦慄も生起したものの、その都度解熱薬の施用を受けて高熱が三七度未満の平熱まで順調に下ったし、右発熱した前後を通じて、旺盛な食思及び順調な熱傷部位の治癒状況を含む全身状況の良好さの程度に変化がなかったので、右期間中に白血球の数値が一万を超える日が多かったのを考慮しても、被告病院の医師団は、右弛張熱等の現出をもって敗血症(菌血症)の発症を疑うべき徴候でないと診察したことが認められる。
そして、(<書証番号略>)、証人中川準平の第一、二回証言を総合すると、被告病院医師団の右診察所見は、臨床医学上の相当な知見に基づくものであることが認められる。難波鑑定中、右認定と抵触する部分は、晋嗣の受傷の部位、程度及び受傷後の食欲を含む全身状態の把握が必ずしも正確でない前提での見解所見として採用できない。
3 そうすると、二七日以降になり晋嗣の全身状態が急激に悪化したことから、二八日に至って被告病院の医師団が初めて敗血症の発症を疑って対応の医療処置をしたことに過誤があるとは認められない。
五 次に、被告の医療処置に関する三及び四以外の争点について検討する。
1 被告は、二〇日採取のカテ先培養の結果がマイナス(二二日)であったことによって、二八日まで検査の必要性を認めないまま経過したことについては、血液培養でも一回では菌が発見されないことがあるのは前述のとおりであるが、本件では、被告病院の医師団が二六日まで敗血症の発症を疑うべき徴候を認めなかったことに過誤があるとはいえないので、二〇日に血液培養検査を採用しなかった点も含めて、検査の必要を認めなかった被告病院に落ち度があるとは認められない。
2 次に、晋嗣の感染がカテーテルからのものである可能性が高いことは前述のとおりであるところ、晋嗣の敗血症の発症が二七日ころである場合でも、なお原告はより早期にカテーテルを抜去すべきであったと主張する(請求原因5(三))。
前記認定のとおり、カテーテルが感染源であるとすれば、これを断つ必要があるし、その効果も認められる。したがって、カテーテル感染の可能性が否定できない場合においては、カテーテルを早急に抜去すべきであるし、治療のためにカテーテルの使用継続が必要不可欠な症状であっても、その刺入部位の変更等の措置を検討すべきである。
ところで、証人瀬戸甲蔵、同中川準平(一、二回)の各証言によれば、被告病院では、重症の熱傷患者の治療にあたり、食事の経口摂取ができる場合でも、カテーテルによる血管内への栄養補給を併用するのが通例であり、医師団は、感染症を主体とした患者でなければ、一か月ないし二か月位カテーテルを患者の体内へ留置しておいても何ともないことが圧倒的に多いという認識を持っており、感染症を主体とした患者の場合には一週間位を目安に交換を検討する方針で臨んでおり、本件も同様の対応をしていたことが認められる。そして、難波鑑定によっても、カテーテルの使用を医師の判断に委ねる以上、原則的な留置期間やいつ抜去・交換するかの判断も、使用を決定した医師の判断に委ねられるとされ、右期間自体が不当とはされていない。
そして、証人中川準平の一、二回証言によると、晋嗣は熱傷被害の直後におけるショック防禦や熱傷の回復につき多くのエネルギーを必要とするし、発育盛の身体でその発育を保持するためにも栄養が必要であり、さらにショックの防禦の時期が経過した一六日ころ以降においては、経口食による栄養補給だけでも治療は可能であったものの、熱傷の治癒をより促進させたい医師団の意図も重なって、その後も口からの食事摂取のほか、カテーテルによる栄養補給が継続されたことを認めることができる。右事実に、晋嗣には一七日に軟便(下痢)が出て整腸剤が投与された(この事実は<書証番号略>及び証人中川準平の第二回証言により認められる。)こと及び二六日まで敗血症の発症の疑いがないとした医師団の診察に過誤があるといえないことを合わせ考えると、二八日まで晋嗣の身体の同一部位にカテーテルが留保されたことに被告病院の過失があると認めることは困難である。
3 さらに、原告はカテーテル使用に伴い、被告において晋嗣の身体を清潔に保持すべきであったと主張する(請求原因5(二))。
<書証番号略>、証人中川準平(一、二回)の証言によれば、二〇日ころ、晋嗣のカテーテル刺入部に近い両鼠径部の一部が白っぽくなってかゆみがあり、その部位がガーゼで汚れており、毛布等も使用されていたものの、カテーテル刺入部自体はガーゼで覆われていて、その部分自体が不潔な状態であったか否かは外見上分からなかったこと、その際、たむし等のかゆみに使われるエンペシドクリームが処方されていたので、右の鼠径部が白っぽくなってかゆみを伴なうようになった原因も、真菌症及びこれに対して処方された薬剤によるものと考えられることが認められる。他に、晋嗣の身体ことにカテーテル刺入部が不潔であったことを認めるに足る証拠はない。
第三 以上の認定判断によれば、その余の審理を経るまでもなく、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官滝口功 裁判官和食俊朗 裁判官濱谷由紀)